前立腺がんの癌告知を受けて2012年07月11日 10:00

以前より頻尿であったものの、その度合いが酷くなって来た事が気になり、2012年7月4日近所の内科医院を受診した。
私が症状を話すと、東中野駅近くの泌尿器科医院を紹介され、直ぐに行く事を勧められた。後で思うに、多分ある程度の疑いを持たれたのだと思った。

近藤泌尿器科医院での診察は、問診の後、触診(尻の穴から指を入れて触る)を受けた。
「固くなっているな」との一言で、癌の話は無く血液採取をしてその日は帰宅。
7月11日に検査結果を聞きに再び受診。
医師は真剣な表情で、前立腺癌、既に骨に転移している可能性が高い事を告げた。
実質的に癌告知を受けた時である。
その時の血液検査の結果は、前立腺癌の腫瘍マーカーである(※1)PSAの値が360、骨に転移していると上昇する(※2)ALPの値が600(正常値範囲300以下)とかなり酷い値であった。
生検(検体を採取しての検査)の必要があるとのことで、手術設備のあるJR病院(新宿)、泌尿器科宛に紹介状を作成して頂く事となった。

私の両親共に癌家系ではなかった事から私の死因が癌になるとは想像したことが無かった。この日も、深刻な結果等を予想する事もなく軽い気持ちで結果を聞きに行っていただけにショックで、深刻な私、平静を装う私が入り混じりながら先生と対話していた。かなり狼狽えていた様に思う。

実はこの翌日より中欧旅行を予定しいて、翌朝一番でJR病院に行き予約を取り付けた上で旅行に行きたいと伝えた。すると先生は、今の時点で1週間や10日の差で如何にかなる性質のものではない、予定通り旅行に行って来なさいとのこと。

妻は止めようかとは言っていたが、妻が楽しみにしていた、しかも定年記念旅行であった事、払い込んだ旅行費用が返還されない事等々が頭の中を渦まき、決断できないままに翌日に前泊する成田のホテルに向けて出発した。
出発はしたものの、食事は喉を通らず、その夜は殆ど眠れずで翌朝空港へ移動した。
空路でも、旅先に着いてからも同様で、3日目まで朝食のフルーツを少し食べた程度で同様な状態が続いていた。
3日目に入って、バスの長距離移動中に何時の間にか眠りに、多分限界だったのだろう。
この眠りを機に、今何を考えてもどうにもならないと旅行を楽しもうという気になって来た。旅行3日目にして漸く少し楽になれた気がした。
この旅行に行っていなかったら、どうしようもない期間が続いていたに違いない。
後に、1月程度の遅れで何ら影響するものでは無い事が分かり、楽しい時間を過ごせた事も、私にとても、妻にとっても大変なタイミングで思い出が作れたので旅行に行って本当に良かった。
帰国して直ぐの7月23日(月)にJR病院泌尿器科医を受診。

※1. PSA(Prostate Specific antigen=前立腺特異抗原):前立腺がんの腫瘍マーカーとして使用されている値で、前立腺癌に掛かると血清中の濃度が上昇するたんぱく質分解酵素の一種。4以上でがんの疑い高いとされているが、最近では2.5に下げる事が検討されている様である。
※2.ALP(alkaline phosphatase=アルカリホスファターゼ):主に胆道から出る逸脱酵素の一種。胆石や胆道がん、胆道性の肝硬変、乳頭部がんなど、胆道の病気の時に値が上がりますが、ALPは、骨にも小腸にも少しあり、がんが骨に転移した場合にも値が高度に上昇するので、骨転移の検査にも使われる様です。

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